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ハッテン相談室

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投稿者
名無しさん
投稿内容
元Sm4さん、有難うございます。

寝台列車は夕方の出発なので、集合時間まで自由行動でした。国内外問わず知らない町を一人で巡るのが好きなので市場があると聞き、行ってみる事に。市場では自家栽培の野菜、果物、キムチなど食糧をメインに売っており、売り手は皆残留の朝鮮人女性でした。
買う人はみんなロシア人です。残留朝鮮人は日本人とは違った事情で、ソ連の市民権を取って生活しており、市場も生活の糧である。
身なりで朝鮮じゃないとピンと来たのか、日本語で「こんにちは、どっから来たの?」とおばあちゃん達に訊かれた。おおまかに話すと、「いゃー懐かしいね、よく来たねぇ、私も北海道さ知り合いいっぱいいるんだわ」とソ連のサハリンで朝鮮人から北海道訛りを聞くとは思わなかった。戦中戦後のわだかまりで日本人を相当恨んでいるかも?と言う心配は不要だった。それどころか周りもみんな喜んで歓迎してくれて、「みんなで汽車ん中で食べればいいべさ」って手に持ちきれない位果物を持たせてくれた。また彼女らは今はいい時代になってお金さえあればいつでもソウル行きの直行便で帰れるとも言っていた。時代も変わったものだと感じた。
市場を後にし踏切待ちをしていると、ステンレス製のディーゼル客車が通過した。多分近郊型の通勤列車だと思う。外見上からツアー仲間から「日比谷線」とニックネームが付いた。それから、気になっていたトロリーバスの乗車を体験する事にした。日本と逆通行なので道を渡るのに緊張する。バス停?と言うか街路灯の柱に広告看板みたいに取り付けられた時刻表を見つけ、停留所と判断する。その時刻表も始発と終電の時間しか書いてなく、タイミング任せ。朝6時から夜10時台まで運行され、都内のバスに類似している。
来たのはテレビで見る東欧タイプのやつで、料金システムも分からないが、先ず乗ってみる。手振りでコインを見せ、取ってもらう。料金を払うと(値段忘れたがワンコインだった:料金均一)整理券を取るシステムらしいが、混んで簡単に取れない。すると乗客同士が手慣れた動きでリレー式でこっちに渡してくれる。その整理券もらい放しで降りるので、無駄に思ったが、これもソ連式なのでしょう。
夕方、ユジノサハリンスク駅に集合。
北部の内陸にあるティモスコエと言う町へ向かいます。終点は更に北にある東海岸のノグリキと言う町で鉄道の北の終点でもある。
入って来た重厚な寝台列車はモスグリーンの車体で、二段式個室B寝台と言う感じ。車両は頑丈さが売りの東ドイツ製で何と転落防止の太い紐が無い!私は上段で寝ましたが大丈夫でした。編成中に立派な食堂車があり、行きの夕食は歓迎パーティーを兼ねていた。
料理もロシア風の水餃子が日本人の口にも合い、美味しかった。本場のウォッカも並び、
ロシア側の同行スタッフと和やかな雰囲気で、通訳でお世話になった高さんは残留朝鮮人です。母国語、日本語、ロシア語を話すが苦労も並大抵じゃなかった筈。解放政策で語学が役に立ち、良かったと思う。編集長がウォッカの瓶を片手にロシアのスタッフに注いで回っている姿に頭が下がる思いだった。
宴もいい雰囲気でお開きになり就寝。旧国境付近で臨時停車するとの事、予定時刻を知らされたが、真夜中なので結局起きられず、せっかくだが諦めた。後日写真を見せてもらったが、旧日本軍が建立した国境の石碑らしき物があるだけだった。そもそもロシア側は北緯50度の件には無関心である。
朝、ティモスコエに到着。降りずに食堂車で朝食を摂るところが日本ではあり得ない程のゆとりである。因みに洋風のモーニングメニューでした。
さて、ここで初めて50度以北の地を初めて訪れる日本の観光ツアーの第一歩となる。
(続く)
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