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投稿者
名無しさん
投稿内容
(サハリン鉄道ツアー:続)
ティモスコエからは貸切バスで西海岸のアレクサンドロフスク―サハリンスキーと言う町へ向かいます。バスは未舗装の道を一時間足らずで行きますが、何と地元のパトカー先導で、対向車は我々のバスが来ると、通り過ぎるまで停車して待つ訳で、いわゆるVIP扱いだったんです。ただの観光ツアーなのに何だか悪い気がするねーと恐縮する声もあった。旧共産国では多々ある事だとか。このアレク(略)の町は昔は大陸から「島流し」になった人の流刑の町だっと知らされる。ここは間宮海峡の港町で小ぢんまりとした長閑な地方都市と言った雰囲気です。観光地ではないので、浜辺や町を一望できる公園散策。ハマナスが多く咲いて、ここでも北海道の原風景と重なる。そこから小洒落たレストランに移動し昼食。午後から町の歓迎行事に招かれ、体育館で歓迎の挨拶の後、地元有志による演奏、オペラ、舞踏などが披露された。まるでプロの舞台のようで、さすが芸術のロシアだなと思うレベルでした。町を発つ前に、臨時の土産物売店で買い物の時間あった。当時のサハリンには土産や免税店的な所が無く、せめて旅の記念になる物を手に入れるチャンスを設けてくれたのです。日本のような観光地ズレした利害関係の無いものだから、みんな気持ち良く購入していました。わずか半日のアレク訪問を終え、バスでティモスコエ駅に戻る。ここで北部初の観光ツアーでお世話になった現地スタッフにお礼をしたいが何も無い、そこで添乗員の提案で一人一つ、何か小物を寄せ集め、代表の方にお渡しする事にしました。みんな思い思いの品を袋へ入れ、私はこの様な事を予測して事前に稚内で仕入れ、安く、嵩張らず、役に立つ日本製の品をと、100円ライター、タバコ、文房具、扇子、団扇、千代紙、乾電池などを持ち込みました。現地のホテルやレストランでチップ代わりに渡すのと、道中に親切を受けた人へのお礼代わりの為に用意しました。私はその中から扇子や千代紙を差し上げました。スタッフの皆さんも喜んで頂き、ここでお別れです。
夕暮れの中を寝台列車はティモスコエを後に一路豊原への長旅になります。朝を迎え左の車窓にオホーツク海が広がっていました。乗り鉄の本領発揮も束の間、大きな信号所に停車。アルセンチェフカと言う町です。縦長のサハリン島の最狭部、実はこの信号所は州都豊原、日本時代最北の工業都市の敷香(現ポロナイスク)と西海岸の真岡を結ぶ中継点、
いわゆるジャンクションの役割を果たすサハリン最大の要所なのです。とにかく貨物がメインで、ブラットホームなんかありませんが旅客はついでに細々扱う程度。ここでダイヤ上の都合で約3時間の停車との事。普通ならえ~勘弁してよーとなるところだが、でもそこは鉄オタの集まり、ラッキー!早速信号所の女性所長さんに許可をもらい、写真撮影や構内の見学をさせてもらう。驚いたのは貨物列車の往来が多い事。安全には再三の注意を払い、撮影会よろしく、撮り鉄ゴールデンタイムになる。片や駅窓口には記念に入場券を買おうと何人も殺到。しかしソ連には入場券の制度がないから売れないと言われると、ある者はじゃあ一番遠いノグリキまでの切符を売ってくれと言い、確か600ルーブルだっから払った。それでも日本より安いとか。他の者も後に続けとばかりに近場の切符を買って行く。所長一人で信号所の業務と、降って湧いた様な日本人ヲタクの対応でてんてこ舞いだった筈。本当にお騒がせしました。ある者は、この駅は史上最高の売上げを遂げた筈だか所長さんは当局から表彰されるのではないかーと冗談混じりで周囲を笑わせていました。
停車中に昼食の時間がやって来たが、ここで噂を聞き付けてきたと言う地元のワイルドな感じの兄さんが、みんなに振る舞ってくれと言って、捕れたての本場カラフト鱒の差し入れがあった。すぐ食堂車で調理され、カラフト鱒の鍋物風の一品が昼食に加わった。
食後、まだ時間があるので、牽引機関車を撮りに行くと、仲良くなった奴が機関車から呼ぶ声がした。運転台を撮らせてくれるとの事。写真を撮り、運転士と機関士にお礼をと思い、朝鮮のおばあちゃんから貰った果物と
つまみを取りに一旦戻る。片言の英語でお礼代わりだと差し入れすると二人とも上機嫌になり、あの果物がここで役に立った。つまみは日本の乾燥珍味。それが気に入ったようで、マグカップの紅茶を飲みながら食べて、ああ本当は酒が良かったのかなと思い、出発の時間がきたので再びお礼を言う。運転士はSeeYouトヨハラーと応えてくれた。
彼らは戦後、地元で生まれ育ったが、昔サハリン南半部が日本で、昔の地名もどこかで教わったのだろうと思った。ユジノサハリンスクとはロシア語で南樺太市と言う意味です。
(続く)
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